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白鵬の引退会見

大相撲で史上最多45回の優勝を成し遂げ、9月30日付で引退した間垣親方の元横綱白鵬(36歳)=本名白鵬翔、宮城野部屋=が1日、東京都墨田区の両国国技館で記者会見を開きました。ホッとした気持ちでいっぱい。全部出し切ったと、すがすがしい表情で約20年間の力士生活を振り返りました。

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大相撲


目次

達成した目覚ましい数々の記録

2001年春場所で初土俵を踏んだ白鵬は、たった6年で、2007年名古屋場所にて第69代横綱にスピード出世を果たしました。

通算1187勝、横綱在位84場所、優勝45回の史上最高記録及び双葉山の69連勝に次ぐ史上2位の63連勝記録を達成した偉業は、誠に素晴らしく称賛に値すると思います。

このような傑出した成績を残せる無双の力士は今後なかなか現れないであろうと予想します。私はこの大横綱を心から高く評価いたしたい。

宮城野親方との出会い

白鵬が21年前15歳で来日したときは、身長175センチ、体重62キロの細身の体でした。自分を受け入れてくれる相撲部屋がなく、モンゴルへ帰国しようとした前夜に、宮城野部屋入門が決まったことを振り返り、宮城野親方(元幕内竹葉山)が声を掛けてくれたから今がある。師匠の元で一から親方として勉強して頑張りたい」と隣に座る師匠へ何度も感謝の言葉を述べていたそうです。

増量の体力つくりと猛稽古

入門からたった6年で横綱になるまでには、人並みではない努力、精進がありました。白鵬は牛乳とちゃんこで体重の増量を図り、毎日50番を超える猛げいこを日課として実践。そして無双の横綱になれたのには、モンゴル相撲の英雄だったお父さんから受け継いだ素質も大きかったと考えます。

一番大事にしていたのが、基本の四股、てっぽう、すり足で、ずっと同じことの繰り返しを継続することの大切さを私どもに示してくれました。

稽古場に入れば、四股、てっぽうを1時間。本場所中も黙々と実行する力士は他に見当たらないという。彼の強さのベースは妥協せずに四股などの基本を忠実に実行し続けたことにあるとプロはいいます。

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相撲 四股




引退を決めたのは7月13日

白鵬は右膝痛の悪化で3月の春場所を途中休場。膝の手術を受け、5月の夏場所は全休しました。

日本相撲協会の諮問機関、横綱審議委員会は昨年11月場所後、休場の多さを理由に、白鵬に対して引退勧告に次ぐ重さの「注意」を決議。名古屋場所の結果で最終判断する方針を示していました。

新型コロナウィルス感染もあり、昨年7月場所から6場所連続休場明けで、進退を懸けて臨んだ名古屋場所でした。その10日目、7月13日に目標としていた二桁勝利を挙げて引退を決めたという。

3月に手術を受けた右膝は医師から「次にまた痛めたら人工関節になる」といわれるほどボロボロで、「膝がいうことをきかない。できるものなら優勝して引退したいと決断したそうだ。

そうした引退の思いは、その場所で全勝優勝を果たした後も揺るぎませんでした。

数々の問題行動への批判

横綱は名古屋場所での派手なガッツポーズ、連日の張り手や無観客の東京五輪観戦など問題行動を繰り返し批判されてきました。

年寄「間垣」襲名時には年寄資格審査委員会から「10年間は部屋の師匠にすべきでない」との意見も出るほど紛糾したそうだ。

白鵬の横綱としての考えと今後の抱負

危険なかち上げや張り手を用いたのは、けがの影響で理想の相撲が取れなくなった結果だという。

土俵の上では手を抜くことなく、鬼になって勝ちにいくことが横綱相撲だと考えてきた」という。

尊敬する昭和の大横綱大鵬から教えられた「横綱は勝てなければ即、引退だ」との言葉を、白鵬は折に触れて口にしてきました。いろいろと手段を考え、それを使って勝つことに固執する考えの原点はそこにあったと思います。

双葉山や大鵬に学び、古典を読み名横綱への道を目指していました。2019年9月には親方として相撲協会に残る資格を得ようと日本国籍を取得しました。

周りの皆さんや横綱審議委員会の先生方の指摘する「横綱相撲を目指し、相撲道を勉強したこともあったが、期待に応えることができなかったかもしれない」と反省を口にしています。


2010年からは少年相撲大会「白鵬杯」を開催して次世代の育成にも取り組みました。そこからは阿武咲ら関取も誕生しました。東日本大震災の被災地の支援にも熱心に力を入れてきました。

相撲と出合ったことが私の全て。相撲から離れれば私は何もできない」といい、「人に優しく自分に厳しく、義理と人情を持った力士を育てたい」と今後への抱負を語っていました。

批判を受けた部分もありましたが、文化や習慣の違う異国の日本にて、傑出した成績を残して引退した大横綱白鵬関には、その経験を糧として次世代力士育成のために大いに尽力し、相撲界の一段の発展に貢献してもらいたいと思います。

白鵬関、本当にお疲れさまでした!