第16回夏季パラリンピック東京大会が8月24日夜開幕しました。新型コロナウィルスの感染拡大を受けて無観客での開催です。
大会には161か国、史上最大となる4403名の選手が参加しています。東京は1964年の開催に次いで、2回目のパラリンピック開催都市になります。
1964年のパラリンピックについては、私にはほとんど記憶になく、当時はパラリンピックあるいは障害者に対する関心があまりなかったと反省いたします。
今回の大会についていろいろ考えたことを述べてみます。
目次
パラアスリートが与える感動
さまざまなハンディキャップを抱えるアスリートたちが、日頃の厳しいトレーニングを行い、五体満足ではない体に残された機能を巧みに活用して、競技に参加し、闘争心を燃やして精一杯記録に挑戦する姿は、誠に神々しく尊敬の念を抱きます。
義足での走り幅跳びの力強い跳躍、視覚障害の選手が伴走者と共に走る、伴走者との信頼関係によるチームプレイ、車いすを見事に操り激しくぶつかりあう車いす競技等大変魅了されました。
中でも、特に私が非常に驚き、感動したのは、エジプト代表の卓球選手Ibrahim Hamadtouさん(48歳)です。
両手を失っているので、口でラケットをくわえ、足の指で球をあげてサーブを打ち、ラケットを巧みに操り、強烈なスマッシュを打つなど、神業のような驚くべき技を見せてくれました。
Hamadtou選手によれば、ラケットを口でくわえてサーブを打つことに慣れるまで1年近くかかり、定期的に練習してプレーすることで、この技術を向上させたそうです。
今回、残念ながらHamadtou選手は、韓国の選手と中国の選手に負けてしまいました。
しかしながら、彼は目指す目標に向かって努力すれば、技術力が向上し、目標を達成出来るということを教示してくれました。称賛に価すると思います。
私はパラリンピック開催の社会的意義を強く感じました。そしてこの困難な時代を生きていく勇気とエネルギーを与えてもらいました。
またパラアスリートを支える日本の技術力、ものづくりを極めようと努力する方々の仕事にも注目させられました。
障害者への支援制度
1964年からおよそ半世紀余を経て、パラアスリート・障害者への世間の関心は高まってきています。鉄道やバスなどの施設において、エレベーターやスロープの整備、バリアフリー化が進められています。
しかしながら、日本の障害者への支援制度は、先進各国と比べると遅れています。
経済協力開発機構(OECD)の調査によると、障害者に対する公的支出の国内総生産(GDP)に対する比率は、日本 1.1%(17年)で、OECD平均2.0%に届いていません。
企業や行政機関に一定割合の障害者雇用を義務付ける障害者雇用促進法の法定雇用率も、ドイツは5%、フランスは6%であるのに対し、日本は民間企業が2.3%、国・自治体2.6%、教育委員会2.5%にとどまっています。
実雇用率が最も低いのが教育委員会で、2020年6月時点で2.05%に過ぎません。公立学校の19年度の教員採用者総数に占める障害者の割合はわずか0.21%だったそうです。
情報元:日本経済新聞
感染が急拡大する厳しい状況の中、様々な障害を乗り越えて競い合うパラアスリートたちの活躍の姿を視聴し、社会が障害者への関心・理解を深めて、多様性をより一層認め合う共生社会を築いていって欲しいと考えます。
特に障害者への支援策の拡充を図ることは喫緊の課題であり、至急取り組む必要があります。
生きるための心得
そもそも新型コロナウィルスの拡大は、人間が不用意にウィルスと生物が共存している自然界を破壊することで起きたと言われています。
私ども人類は、地球にとって征服者ではなく、一生物に過ぎないという謙虚さをもって地球を破壊することなく守っていきたいと考えます。
人は多様であり、皆が同じ条件を持っているわけではありません。私どもはあるがままの自分を認め、今置かれた環境の中で、最善を尽くし、一歩一歩前進し、喜びを見出していきましょう。
私どもは次に掲げる立教志塾「塾生心得」を自覚し、生きて行くことをお勧めいたします。
- 生かされている身の有難さを知ること
- 二度なき人生を精一杯生きること
- 他人の痛みのわかる心優しい人であること
- 言葉づかい、姿勢をただしくすること
- ふるさとを誇りとし、国を愛すること
- 思い定めたことは必ずやり通すこと
- 他人のために、汗を流すこと
- 世界人類の平和を、願うこと
出典元:立教志塾「塾生心得」